さとちんdiary

普通の大学生が見たもの、感じたもの、考えたもの

色んなことを自由に

お久しぶり、さとちんです。

  • 考えの整理

最近はめっきりとブログを更新するのもやめてました。ブログをするのは義務でもありません。しかし、ブログの更新をやめると「アウトプットの場」、自分の考えを吐き出す場所がなくなり、1人苦しんでいる自分もいました。実際友達が少ない僕は、本を共有できる友達も絶対的に少ないので、話せる人があまりいません。これからはきちんと自分の考えを「自由に」再発信していこうと思います。

 

  • 本の読み方の変化

電子書籍から紙の本へ
これまではいくつかの理由から、電子書籍で読書をすることが多かったです。最近は紙で読めるようになりました。そのため電子書籍で配信されていなかった本も手に取れるようになり、読書熱が更に高まっています。
・小説から新書、準古典へ
数ヶ月前はビジネス書や自己啓発本をよく読んでいました。それは短期的な結果を求めていたような気がします。今は岩波文庫をはじめとした準古典をよく読むようになってきました。それについては今後書いていこうかなと考えてます。

 

  • 僕と読書

大学では夏休みも始まり、この5日間で4冊本を読んだと思います。僕はまだまだ甘々な若者で、短期的な考えしかできません。成績や評価されて育てられ、じぶんをそれでしか表すことができません。読書をすることでそんな自分が大きく変われるとは思いません。だけれども、読書によって今まで知らなかった知識が手に入るだけでなく、これまでできなかった心で感じる感受性や知識の横断ができるようになるのもしれません。本は生きていくためのものではなくて、人生を豊かにしていくものである。そう僕は読書について考えています。

順次、本を読んで感じたことを書いていこうと思いまーす。

 

ばいばーい、さとちん

『竜馬がゆく』を読んで2

竜馬がゆく』を読んだ。

ここで第5巻から第8巻を読んで感じたこと・考えたことを書いていこうと思う。

 

この本を読み終わって、僕の心に残っている考えは「劣等感」という考えだ。

それは200年続いた江戸時代を終わせることができた一つの要因だと考えている。例えば、江戸時代、幕府や国の抑圧で下流武士、特に土佐藩は何百年も無意識に劣等感を味わってきた。しかしながら、誰もそれに気づくことができなかった。それは生まれたときからその環境の下で生活していると、行動・考えが無意識に影響されるからである。それは黒船が襲来し、幕府の悪い所(外国との対応)が表れ始めたところで、意識的な劣等感へと変わった。

 

そうやって何百年にも積み重なった「劣等感」が下克上(幕府の崩壊)へと進めた。江戸では多くの上流階級の武士が暗殺された。それは下流武士による劣等感や長い間抑えられてきた重圧や感情からの解放である。このように劣等感は「変化を生み出す力」を持っている。

 

僕は、この「劣等感」は日本の成長を促したと考えている。それは少なくとも3回来ている。※1

1つ目は文明開化である。江戸幕府終了後、外国との貿易が本格的に始まったことで、日本は欧米諸国に文明の違いを多く見せられた。つまり差を感じたのである。それに追いつくために、日本はその国々から発展した西洋建築、学問、文化まで多くの西洋文明を日本に取り入れた。その導入は日本の文明の発展を促したのである。

2つ目は1950年から1960年代までの行動経済成長である。「追いつけ・追い越せ」の1960年代の言葉にもそれが表れている。戦後すべてを失った日本は戦争の反省と共に外国と国交を回復した。海外貿易によって、多くの物を輸入し、日本の高度経済成長が生まれた。

 3つ目にバブル経済である。僕はバブルの時代には異なった形で劣等感が存在していたのではないかと考えている。それはほかの人よりいいもの、高いものを持とうとする考えである。それは他人と比較し、自分がどれだけお金があるのかを表そうとしたのではないか。それh不動産だったり、外国車、ダイヤ、骨とう品などが多く取引されたことがそれを表している。

 

 (飛躍しすぎて着地点が分からなくなったので)まとめると、

劣等感は良い変化を生む力なのだと思う。どうすれば追いつけるのか、学べるところはどこか、どうすれば勝てるのかといった改善点を見つけ、人を一歩ずつ成長させる。人だけにとどまらず、社会、経済をも成長させる。劣等感を持ち続けている限り、その探求と成長はなくならないであろう。

過去、現在、将来、生きていく中で、何かしらの劣等感は常に感じるものだ。しかし、それは悪いことではなく、自分を高めてくれる良いものである。それがこの本を読んで考えたことだ。

 

 ※1僕の個人的な考えなので、明らかにあっているとは言えない。しかし、一つの意見として書いている。

 

さとちん

『竜馬がゆく』を読んで

竜馬がゆく』を読んだ。

この本は文庫版では第8巻まである。とても長いために、読みきった後すべてを頭の中で整理することはできない。そのため第4巻までを読んだ中で感じたことをいちど整理していこうと思う。ここで書いたことは第4巻までのことなので、自分が感じたこと・考えたことは変わるであろう。

 

竜馬の活躍した時代は黒船襲来から始まったと言える。それは約250年続いた江戸幕府の終了の時でもある。その時代は国(県)から出ることも許されず、武士の階級制度を破ることもあってはならない。そのなかで竜馬は、全てのルールを破ってまでも、薩長同盟の締結や武士なのに海洋塾の設立などに奮闘する。

僕は竜馬がそこまでして動けた背景は「好奇心(楽しむ心)」と「ほかの人と違うことをした」の2点だと考えている。

 

1)好奇心については人を動かす力になると思う。これがすきだ。面白いという気持ちが行動を駆り立てる。それは単に遊ぶといった楽しみではなく、その裏にはしっかりとした努力と忍耐がある。そこでの努力や忍耐は苦しいものではない。むしろ喜んでするようなものだ。そして、それを納得するレベルに到達するまで努力を欠かさないことが必要となる。

 

2)他の人と違うことをすることは簡単でもあり、難しい。なぜならば、藩が、幕府がという無意識に既成概念にとらわれているからである。現代に合わせて書きなおすと、仲間がしているから、友人がしているからという考えに当てはまらないことである。その考えを貫くためには孤独と戦う力が不可欠となる。なぜならば、反対の意見がたくさんあるからである。しかし、時代を生き残っていくためには戦うべきことである。更に生きていくためには大事な考えの一つだとだと思う。

 

竜馬がゆく』を読んで、この2点が特に頭の中の印象に残ったことである。

これらを通して、歴史小説(準古典)を読んでこれだ!というアイデア、技術、知識は得られない。むしろ得ようとする方がおかしいということが分かる。なぜならば、短期的に役に立つことなど書かれていないからである。むしろ長期的に役にたつ概念を得られた。そのような考え方、信念、理念といったどれにも応用可能性のあるものは深く脳に刻み込まれる。そして、無意識または意識的にこれからの生活に応用されるであろう。

 

さとちん

 

 

人は完全に合理的ではない

 こんにちは。さとちんです。

 

人の行動は合理的に見えて、感情で動いてしまうことがある。それは過去の考えや周りの空気に飲み込まれたりして、合理的に行動することが出来なくなるから。

 

あるyoutuberが1万円を100円で売る実験をしていた。


1万円が100円で売られているとしたら、誰が見てもお得に見える。しかし、1万円が普通でない値段で売られていると買わない。人が完全に「合理的」に動くならば、絶対に買うだろう。感情的に考えてしまい、ほとんどの人が買わなかった。

これは一般的な経済学では証明することが出来ないこと、つまり実験によってあきらかになったことである。

 

もう一つ、死亡者数の図を出してみた。

これを出した理由は、現在、ニュースで殺害や銃乱射などの事件が多く見られるから。

その影響から、多くの人が殺害によって人が亡くなっていると感じている。

しかしながら、本当の理由は自殺や病気などといった原因の方が多くを占めている。

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厚生労働省平成27年人口統計月報年計(概数)の概況 第7表より一部抜粋

http://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/jinkou/geppo/nengai15/index.html

 

ニュースによって、多くの事件や事故が報道されている。確かに、亡くなってしまった人や被害にあってしまった人や家族の悲しみは計り知れない。しかしながら、15歳から39歳までの自殺してしまった数をどう減らすことができるのかについて報道されることは少ない。

人が完全に合理的に行動するならば、このように図を用いて、何が一番の問題で何を解決すべきかの説明がなされるのだろう。

 

最後に『行動経済学 経済は「感情」で動いている』より

「人間の合理性は一つだが、非合理性は無数にあり理論化できない」という反論もあるが、行動経済学でいう「非合理性」とはハチャメチャな、あるいはランダムな行動傾向のことではなく、合理性(経済人)の基準からはずれるという意味で非合理的であるが、一定の傾向を持っており、したがって予測可能な行動である。そのような行動が経済に及ぼす影響は大きい。

1文がとても長く、良い文章と思えない。あまり好きな文章でもない。

行動経済学で大事な概念である「非合理的行動」について予測可能であると表した一つの文章である。

 

行動経済学?経済は「感情」で動いている? (光文社新書)
 

あー、もうちょっと深く考えられるようになりたい。

日々の鍛錬ですね。頑張ります。

 さとちん

人は限定合理的?『行動経済学 経済は「感情」で動いてる?』を読んで

 こんにちは。さとちんです。

 経済は人の心(感情)で動く(はず)。一般的な経済学に嫌気がさした僕は行動経済学に興味を持ちました。合理的に動いてると思われる行動は、非合理的かつ感情的である。それは僕にとって目からうろこが落ちるような発見でした。

 

行動経済学?経済は「感情」で動いている? (光文社新書)
 

 目次

第1章 経済学と心理学の復縁・行動経済学の誕生

第2章 人は限定合理的に行動する・合理的決定の難しさ

第3章 ヒューリスティックとバイアス・「直感」のはたらき

第4章 プロスペクト理論(1)理論・リスクのもとでの判断

第5章 プロスペクト理論(2)応用・「持っているもの」へのこだわり

第6章 フレーミング効果と選好の形成・選好はうつろいやすい

第7章 近視眼的な心・時間選好

第8章 他者を顧みる心・社会的選好

第9章 理性と感情のダンス・行動経済学最前線

 

経済は感情で動いている。

流行遅れと言われるのがイヤだからはやりの洋服を着て、はやりの音楽を聴き、はやりのレストランに行き、はやりの本を買う。

 経済は自分の感情と共に動いている。それは周りとの比較や価値観に基づいて行動をしているからである。「はやっているから」そういう理由で経済は進んでいく。必ずしも自分の合理的(理性的)な判断で買いものをしているわけではない。

 

人は、完全に合理的ではないが、そこそこは上手くできるという意味で「限定合理的である」と言うのが一番適切である。

経済学が対象としている「経済人」は完全に合理的に行動している。しかし、上で挙げたように、人は合理的に動いているわけではない。感情を制御しながら理性と共に生きている。例えば、恋愛。人を好きになるときは理性で考えないことが多い。好きという感情が生まれる。次に理性で告白するべきか、しないべきか考える。人は限定合理的に行動している。

 

以外に思われるかもしれないが、より良い意思決定のために重要な役割を果たしているのは感情だということが、最近の心理学や脳神経科学の発展により明らかにされつつある。

意思決定をしているのは理性ではなく、感情である。最後には感情で決断をしていることも多い。

 

行動経済学?経済は「感情」で動いている? (光文社新書)
 

 感想 

僕は一般的な経済学に嫌気がさした。それは感情や数字で物事を判断しようとしたところに違和感を感じたから。例えば、僕が服を買った理由を尋ねられると、まず一つ目の要因として「安かった」という事実を言う。そして二つ目の要因として、「なんとなく」という曖昧な感情を答えるでしょう。一般的な経済学ではこの感情を定義することはできない。

感情によって人は物事を判断し、行動する。それによって経済は動いている。

いや~、この学問面白い。

 

さとちん

ちきりんさんの凄さ。

こんにちは。さとちんです。

 

今のブログに満足できない。それは自分の考えがまだまだ若いからだと思います。もっと難しい表現を使えるようになりたい。もっと複雑に考えたことを表現できるようになりたい。つまり、もっと大人になりたいっていう憧れなのかもしれない。これからの自分のためにもこんな本を読みました。

「Chikirinの日記」の育て方

「Chikirinの日記」の育て方

 

 目次

01.ブログではなく日記

02.日記を公開すること

03."はてな"を選んだ理由

42.幸運と適性

43.時代とのマッチング

44.そしてこれから

 

今日、考えたことを文字にして書き留める。それは私にとって、ご飯を食べるとか、お風呂に入るといったこととほぼ同じくらいに自然な、日常の行為なのです。

これを読んで、ブログを書くことを義務・仕事と考えてはいけないと理解しました。日常的な行為を淡々と繰り返しているだけである。ちきりんさんらしさを垣間見た気もします。

 

あの頃も今も、そして紙のノートに書いていた時期も含め、私は日記を書くことが好きです。自分の考えたことを文章化すること、自分の思考を言語化、構造すること、そういった作業自体が楽しいのです。その記録を、読者の方にも同時に楽しんでいただけるのであれば、それだけで望外の喜びです。

ちきりんさんは「考えてきたことを言葉にすることが好きだ」と言っています。つまり、自分の好きなことをしてきただけということでした。ここでは、「読者を変にいしきすることや自分の体験をたくさん書くということではない」とも書かれていました。読者を意識して、検索に引っかかるように対策を立てる。商品紹介をしようとしているのではない。自分の考えた事、言語化したものを書いてきた。しっかり考えさせられました。

 

「Chikirinの日記」の育て方

「Chikirinの日記」の育て方

 

 感想

この本を読み、僕が感じたことは、無理にかっこつける必要はないということでした。僕は「これを読んだよ」「こんなことできました」と読者を変に意識していることが多かった。そして、自分は頑張っていると表現していたことがありました。それは自分をよく見せようということからでした。この本を読んで、また1から自分らしくブログを書き続けようと思います。

 

さとちん

考えが変わりました。

こんにちは、さとちんです。

 

先月の記事で「今後のさとちんdiary」という記事を書きました。

ここで述べていたのは、「3日に一回投稿します」という内容でした。

 

ここ1週間さぼりました。

その理由としては、

ちきりんさん(はてなブログでとても有名な方)の本を読み、考えが変わったからです。

それはたくさんの本を読んで、投稿する義務にかられながら、ブログを書くべきかということです。確かに、ブログの記事の量を増やすことで、書評をたくさんできます。しかし、自分が本当にしたいことなのかと考えると違うと感じました。僕がしたいことは確かに「面白かった本をみんなに紹介したい」という気持ちでした。月に何冊も本を読み、数や量をこなすのは違ったような気もします。

 

これからしていくことは、自分が考えたこと・疑問に思ったことをより具体的に言葉にしてみようということです。本を読んで、そこから色んな考えを巡らせ、もっと図を用いたり、具体的に分析してみる。それによって、もっと本の良さや考える力がつくと思います。本の書評だけでなく、そこで得た知識を細かく表現してみるのも挑戦してみます。

 

ブログは個人の考えや気持ちを表現するための場所で、考えの変化を書くことは必要ないかもしれません。しかし、そういう心の変化も数年後、振り返った時に興味深いなと思って書いてみました。学生がなにか言ってるという感じでこのブログを読んでいただけたら、幸いです。

 

さとちん